2009年6月2日火曜日

GEキリスト教概論レポート

GEキリスト教概論レポート
        『かのやうに』に着想を得た連想ゲームの一環として
                                色平卓郎
                                131111(ID)
 ここでハルナックは、ビスマルク時代が終焉を迎えて訪れたヴィルヘルムⅡの治世の、その内外の社会安定の立役者のひとりとして描かれているといえるだろう。そしてその君臣の間柄は、君主の信用と君国の用によって結びつけられていたと書かれている。それは、政治が「多数を相手にした仕事」であるということと、民衆を動かす際に、未だに影響力を持ち続けている宗教を用いるということの有用性とに関連する。
 当時のヨーロッパの状況というと、ビスマルク外交の終焉にともなって、ドイツ国内でもより拡大志向の帝国主義的な風潮が高まってきた時期であるといえる。実際、1905年には第一回のモロッコ事件が起きているし、それ以前からドイツ帝国によるいわゆる世界政策の一環として、海軍軍備の拡大などが進められていた。このような時代、一同に国民に働きかけ動員することができるか否かで、その国の生存競争の是非が決まることもあり得たということは想像に難くない。そんな中、宗教といういわば人々にとっ ての精神の基礎を以て内外を統治するということはとりわけ重要であったといえる。実際ここに挙げられているように、内政においては南北の宗教流派の違いがあり、南の旧教を抑えつつ、新教の精神を以て文化の進展を図らなければならなかったし、外交においては未だに影響力を持つ権威であるローマ法王をないがしろにするわけにはいかなかったという。これはおそらく旧教徒の多い南ドイツの支配に伴う正当性にも関わるのだろう。
 そして、その統治にあるべき基礎である宗教の基礎、それがハルナックに代表される新教神学であるという。しかしそれは決して政治向けにあつらえられた教義ではなく、むしろ彼が献身的態度を以て学術界に貢献した結果であり、その意味では非政治的に他ならないはずの神学が、ここではドイツの強みであると述べられている。
 その対照として文中に実際、この基礎を欠いた統治の例としてロシアのツァーリが挙げられているが、実際当時のロシア帝国というと、無政府主義やナロードニキといった主義が台頭し、皇帝の暗殺やその未遂事件も多々あったという時代で、ここに挙げられているような平穏なドイツ社会との違いは明らかである。では何が違うのか。
 神話と歴史、このふたつは切っても切れない関係にあるといえる。そしてここハルナックのくだりで、それぞれは信仰と学問とに言い換えられることができるだろう。ここでなぜ信仰と学問が問題となるのか、なぜならそれを考えることは同時に神学とは何なのかを浮き彫りにするということに他ならないからだ。ここで神学と信仰、学問について実際に挙げられていることを箇条書き的に書き出し、
1.宗教を信じるのに神学は要らない。また、信仰というものは知力の発展していない多数のためのもので、そこに神学は不要である。
3.信仰のないのに信仰のある真似をする危険思想と、宗教の必要性だけには譲歩するという穏健な思想。
というふたつの事柄について特に注目し、以下のように考えた。
 中世という神話と歴史が区別されていなかった時代にあって、人々は信仰と学問を区別するということもなく、そこにある種の真実を見出すことができていたといえるだろう。そしてそれこそが当時存在した宗教のひとつだけの形であった。同時にそこにおいて、神学は宗教と同義であったといえるだろう。しかし近代になって、その両者が区別されることを余儀なくされ、元来宗教に見出されていたはずの真実といわれるものが、形式的で内容のないものに思われるようになってしまう(しかしそれはいわゆる無知の民衆には無縁である)。そこに中世とは違う形での宗教として、別に神学と呼ばれる学問が生まれた。それはつまり、それまでの一元化モデルとして信じられていた宗教ではなく、神話と歴史とが区別されたことによって、今までのそういった宗教に回帰できなくなってしまったその枠組みを支えるものとしての宗教であり、それが神学である。まず第一にその意味において、信仰だけの元来の宗教を信じる上でここにおける神学は必要ないといえる。しかし同時に、後に述べた宗教は、その多くが元来型の宗教の信者であるいわゆる学問的素養のない民衆にはとうてい還元できないものである。ならば、先に述べた元来の宗教の必要性を認めなければ、民衆に還元できない形の宗教しか残らない。その点において、その元来モデルの宗教の必要性を認めるか否かでその思想の危険性が決まるのである。また、その新しく生まれた神学は、その前提となった元来モデルを内包しているともいえるだろう。その意味でもまた、宗教を信じる上では神学が必ず必要であるとは限らないといえるのである。
 以上が私論としてのドイツにおける神学に関する仮説である。そして、ここに考えられるロシア正教との違いはその政治的意図の有無である。この仮説上に、神学そのものの政治的意図というものを感じることはないと思う。なぜならこれは明らかに政治的ではなく、体系的な問題に他ならないからだ。しかしそれにも関わらず統治の基盤としての宗教の基礎に適用可能であるという一点でその有効性が認められ、根源的なドイツの強みとして発揮されるのである。なぜならこの神学という学問としての宗教は、一元化モデルの形態を内包しつつも、より現実や歴史に応用できるモデルとして発明され体系づけられたものであるはずだから。
 秀麿がなぜハルナックを手紙中にあのように取り上げたのか、それは秀麿自身が直面している神話と歴史との狭間の格闘における、ひとつの決着をハルナックが勝ち得ていたからだ。推測の域ではあるが、ハルナックはこの神学の体系化を通じて宗教という領域を以てそれを初めて成し遂げたひとりであったのではないか。そしてそれはまた同時に、秀麿の、ハルナックの純粋な学問的事業と矛盾しない君国の用への賞賛の気持ちの表れに違いない。これこそがまさに、秀麿をしてヴィルヘルムⅡとハルナックとの間柄を模範的であるといわせるゆえんである。
 1912年、森鴎外の著したこの小説『かのやうに』は、学問がいかなるものかということについて教えてくれると同時に、その根底に息づくものの捉えがたさを絶妙に言い切っているという印象を受けた。それがもっとも端的に表されていると感じたくだりは、最後の最後の文章だ。
「山の手の日曜日の寂しさが、二人の周囲を以前支配している。」
ここで秀麿と綾小路のふたりは静かに暖炉の前に立っている。暖炉から漏れる火の光に照らされて、彼らの足元から長く伸びて浮かび上がるシルエット。 そしてそこで彼らをとりまく孤独性が、まるで捉えがたい雲、もしくは捉えがたい怪物のように表現され、そんな諸々の想像にふと憂鬱というかやりどころのない気持ちを想起させられた。

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